波乗り営業(なみえい)ブログ

~サーフィン好きの劣等大学生が、リクルートでMVPを獲るまでの全軌跡と失敗しない営業方法~ 波乗り営業アメブロはこちらから。http://ameblo.jp/namiei1

波乗り営業(なみえい)第一章/サーフィン&営業と出会ったきっかけ

<<波乗り営業(なみえい)第一章>>
サーフィン&営業と出会ったきっかけ

 
私が初めてサーフィンに出会ったのは大学1年生18歳の時でした。

大学進学のために地元の山口県から横浜へ引っ越してきて、
大学で知り合ったサーファーの友達と夏休みに初めて湘南へ行き、
見よう見まねでサーフィンを始めました。

サーフボードは中古のボードを5,000円位で買ってきました。

 
山口から横浜へ引っ越そうと思ったのは、
とにかく家を出たかったからです。

 
高校のときから
「高校を卒業したら絶対家を出て一人暮らしをしよう!」と、
心に誓って受験勉強をしていました。

ウチの父親はとにかくパチンコが大好きで、
平日でも休みの日でも時間があるとパチンコばかり行ってました。

小さい頃の記憶は母親とパチンコ屋へ迎えに行った記憶しかありません。

週末の夜10時になると近所のパチンコ屋へ父親を迎えに行って、
勝った日はファミレスへ、
負けた日はラーメン屋へ行くのが我が家の定番でした。

まだ携帯電話が無い時代で、
父親が入店しているパチンコ屋を探すのに、
近所の3、4店舗あるパチンコ屋の駐車場を1軒ずつ見て回り、
父親のバイクが停まっているパチンコ屋へ母親が迎えに行っていました。

パチンコから帰ってきて、父親が家で荒れる日もありました。
夜、ベットで寝てると食器や本などが手当たり次第飛んできてました。

小さいながらビクビクして、毛布にくるまって寝たフリをしていました。

 
家を出たかったのは、
「そういう父親から離れたかった」というのもありました。

小さいころからパチンコ好きの父親が大嫌いでした。

「自分は絶対に父親みたいな人間になりたくない!」と
ずっと思っていました。

 
おかげで今でも私はパチンコに限らず、ギャンブルは一切やりません。
タバコも吸うことはありません。

 
小さい頃の想いが強烈に今でも残っています。

 
受験した大学は全て関東の大学でした。

とにかく家を出て一人暮らしをしたかったので、
わざと実家から遠い大学ばかりを選んで受験しました。

その中から運よく慶応大学に合格して、
入学することにしました。

 
初めてサーフィンをやったときには
ボードにうつ伏せになって沖へ出るのもひと苦労で、
両足でボードの上に立つなんて全くできませんでした。

何度も何度もボードから落ちて波に飲まれて、
岸へ流されてはパドリングをして、沖に向かうといった感じです。

そのうちに段々と慣れてきて、
10回くらい沖に出ると1回くらいは
「テイクオフ」が出来るようになってきました。

それでもまだ両足はフラフラで、
腰もカッコ悪い「ヘッピリ腰」で、
ボードの上で立っているのが精一杯の状態でした。

間違っても「サーフィンをしている」と
言えるような状態ではありません。

うまく波に乗れたかなっと思うと、
もう次の瞬間には波に飲まれて、
波の中で ブクブク… と
もがいていることもしばしばでした。

それでもただ単純に海へ行くことが楽しかった私は
その後も時間があると中古のサーフィンボードを片手に
何度も海へ出かけていました。

山口の実家でも海は近かったですし、
(ただ、瀬戸内海だったので波は全くありませんでしたが‥)
湘南へ行って波が無い日であっても、
海へ入って ボーっ と波待ちしているだけで、
それはそれで楽しかったです。

波の無い日はサクッと海から上がって
近くの温泉に入って、
昼間から友達とビールを飲んでいました。(笑)

もちろん波のある日は、
もう朝から晩まで「ガンガン」サーフィンをしていました。

初めてやったときには何回やってもうまくできなかったのに、
何度も何度も失敗を重ねているうちに
初めは「10回に1回」の割合でテイクオフしていたのが、
徐々に「5回に1回」、「3回に1回」の割合で
波に乗れるようになってきました。

しかも、初めは両足をピクピクさせて腰もひけて、
ボードの上に立つのが精一杯だったのに、
いつのまにか背筋もピーンと張って、目線も遠くに
余裕のある乗り方ができるようになってきました。

 
そんなサーフィンライフを楽しんでいた私ですが、
大学ではテニスサークルに所属していました。

実は、小学校からテニスをしていた私は、
テニスサークルのあの何とも言えない、
当時いかにも大学生らしい雰囲気に憧れていて、
「大学に入っても絶対にテニスサークルに入ってテニスをやろう!」と
心に決めていました。

しかも大学3年生のときにはテニスサークルの
代表兼幹事まで務めていました。

 
大学へ行って授業が終わると、
すぐにテニスコートに集合して練習になります。

練習が終わると、
サークルのメンバーで毎日のように飲みに行ってました。
(学生がよく行くような「飲み放題のコース」がある安い居酒屋です。)

1年生や2年生の時には先輩方にオゴって頂いたりしていたので、
金銭的な負担は少なかったのですが、
3年生になると逆にオゴる立場になり(当たり前ですね‥。)
多いときには1週間で10万円は飲み代で消えていっていました。

当時の自分の収入というと、
親からの仕送りと授業の間に掛け持ちのバイトで稼いだバイト代でした。

アパートで一人暮らしをしていたので、
親からの仕送りは必要生活費に全て消えてしまい、
教科書代やサークルの費用や飲み代などは、
全てバイト代から捻出していました。

当時のバイトは
「家庭教師」と「塾の講師」と「工事現場の警備員」の
3つのバイトをかけもちしていました。

「家庭教師」と「塾の講師」は時給はいいのですが、
シフトの関係で1日に長時間は入れないので、
(1日に2・3時間程度です。)
なるべく空いてる時間には警備員のバイトを入れてました。

警備員のバイトがある日は授業が終わるとスグに荷物を持って
(この荷物がヘルメットとか制服とか靴とか入ってて重いんですよ…)
工事現場に直行したらビルの裏とか非常階段とかで
すばやく警備用の制服に着替えます。

ヘルメットを被って赤い誘導灯を片手に
朝まで車の交通誘導をしてました。
(ちなみに朝までバイトしたあとはそのまま学校へ行き
誰もいない教室で授業が始まるまで机に伏せて寝てました‥。)

当時の私はテニスサークルで代表をやっており、
一度飲み会が始まると朝まで飲むことも多く、
サークルに対する出費はハンパなものではありませんでした。
(代表や幹事は最後まで飲み会にいるというのが暗黙の決まりごとでした‥。)

とても普通にバイトをしているだけでは、
サークルの運営費を賄うことはできず、
もっと割りのいいバイトを探していました。

 
そんな時、
ある求人誌の募集が目に入りました。

「とにかく稼ぎたい人、ヤル気のある人、大募集!!」

それは小学生・中学生向けの教材販売の求人募集でした。

 
「営業経験が無くても、月収100万円~300万円以上」
「やればやっただけ自分にはね返ってきます!」

 
当時の自分には(今でも??)とても魅力的な求人募集でした。

サークルの費用が少しでも欲しかった自分にとっては
「月100万円あれば今よりずっとラクにサークルを運営できるな~」
とただ単純に思いました。

また、それまでは「労働時間の対価として給与を得る」という
考えだった自分に対して、

「やればやっただけ自分にはね返ってきます!」

というコピーが今までになく胸に刺さっていました。

時間給ではなく、「売れば売った分だけ」
自分の給料になるんだ、と‥。

 
早速、その求人募集の会社へ電話して、面接に伺いました。

忘れもしない大学3年生の夏、
7月下旬の太陽がジリジリと照りつける
暑い日の午後でした。

その会社は横浜の関内駅の近くで、
駅から10分ほど歩いたところのビルの1室でした。

13時のアポイントでしたが、余裕をもって家を出たので、
30分ほど早く着いてしまいました。
近くの蕎麦屋でざるソバを食べてから会社へ向かいました。

まだ着慣れていない黒のスーツを着て
緊張しながら会社のドアをノックすると
受付の女性の方が出てこられて
奥の社長室へ通してくれました。

社長室はそれほど広くはなかったのですが、
窓が大きくガラス張りで、
クーラーがよく効いてる部屋でも
夏のギラギラした日差しが入ってきて、
窓側は少し暑いくらいでした。

真っ黒なソファの前にガラス張りのテーブルが置いてあり、
壁にはクリスチャン・ラッセンの絵が飾られていました。

部屋全体はモノトーンで統一されていて、
社長室にふさわしくとても大人な感じの空間だったことを
覚えています。

ソファに座って10分ほど待っていると
ヒョロリと細いスーツ姿の男性が入ってこられました。
その販売会社の所長さんでした。

所長さんはすごく物腰が柔らかい方で、
営業の会社なのにひとつひとつ丁寧に
事業内容や仕事の内容をこちらのペースに合わせて
進める話し方にとても惹きつけられました。

しかし、その時はあまりに緊張してしまい、
面接で何を聞かれて何と答えたのか、
全く覚えていません‥。

10分ほどの簡単な面接の後に
「今、ちょうど新人の研修やってるけど、よかったら一緒に受けてみる?」
と聞かれました。

今、面接受けたばかりなのに、もう研修に入ってもいいのかな~?

と思いましたが、
その時は夏休みで特に予定もなかったので
思い切って研修を受けてみることにしました。

研修の部屋に入ると、
自分の他に3人の方がいらっしゃいました。

一人は30代後半のガタイのいい男性。

二人目は細身の体の20歳くらいの男性。

三人目は25歳前後の女性。

3人とも私と同じ求人募集を見て応募した方々でした。

 
面接は見事に合格でした。

私は早速、大学3年生の夏から営業の仕事を始めることにしました。

その営業は学習教材の営業で、売った教材の約20%が
マージン(手数料)としてバックされるというものでした。
(100万円の教材を売ると20万円が支払われるという感じです。)

当時、私は営業経験が全く無かったのですが、
サークル運営の為にどうしてもお金が必要だったのと、
それまでは時間給で収入を得ることしか頭になかった私にとって

「売れば売った分だけ収入を得ることができる!」

という給与体系にとても魅力を感じました。

 
が、世の中そんなに甘いものではありません…。

 
商品が学習教材だったので、
お客さんは主に小学生や中学生をお持ちのお母さんなのですが、
来る日も来る日も朝から晩まで電話をかけてアポイントをとり、
やっとアポイントがとれると、
次は実際にお客さんの家へ伺って商談をして、教材を買って頂く。

サーフィンと同じで最初はなかなか売れませんでした。

売れないどころか、
初めは電話でアポイントを取るのもひと苦労でした。

売れない日が何日も続くことがしばしばでした。

というより、
売れない日のほうが多かったかもしれません。

学習教材の販売営業なので、
電話でアポイントがとれたお宅へ実際に伺って商談をするのですが、
商談が終わって家を出ると、
必ず所長に「今の商談がどういう商談だったのか」を
電話で報告します。

売れない日はその電話をするのが本当にツラくて、
電話するだけなのに1時間悩んだこともありました。

今思うと何も悩むことなんかなくて、
スグに電話すればいいだけの話なのですが、
「少し気持ちを落ち着けてから電話しよう」とか
「所長にこう聞かれたらこう言おう」とか色々考えていると、
平気で1時間とか経っていました。

 
その電話で所長に
「売れるまで帰ってくるな!!!」と言われたこともありました。

「お客さんにそう言われて、そう返すから売れないんだ!!」と
電話口で怒鳴られたことも何度もありました。

あまりに商談が長くなってしまって、
訪問したお宅を出た頃には最終の電車がなかったこともありました。

今でも横浜の「相鉄線」という電車に乗ると、
その頃のことを思い出してしまいます。

 
学習教材が売ない日が続いて
「もう辞めよう」と思ったことも何度もありました。

所長に怒鳴られて、毎日朝早くから夜遅くまで働いていて、
「フツーにバイトで稼いだほうがラクで早いんじゃないか」と
思ったこともありました。

でも、営業をやると決めた以上、
必ずやり遂げようと思っていました。

というより、当時の自分は営業をやるしかありませんでした。

死んでもサークルの費用を稼がなきゃいけなかったし、
フツーにバイトしていたのではまかないきれない金額だったので
もう本当に必死でした。

会社にはすでに小学生や中学生の家の電話番号がリストになっていて、
自分で小学生や中学生のお母さんに「ガンガン」電話してアポイントをとって、
アポイントをとった家には営業カバンを持って、
「ガンガン」訪問していました。

大抵、電話でアポイントをとるときは一日中朝から晩まで電話して
次の日に集中してアポイントをいれます。
2時間おきくらいで。

一件目が10時のアポで、次が13時で、次が15時で、次が17時で、次が19時。
みたいな感じです。

ちょうど夏休みの時期だったので、昼間でも家にいるお母さんが多く、
炎天下の中、汗びっしょりになって営業していました。

当時はスーツが一着しかなくて、毎週クリーニングに出していました。

金曜とかになるともう汗が乾いて結晶みたいになって、
白く浮き出ていました。

そうするとトイレに駆け込んで、
水を手ですくって「ガーッ」とスーツにつけて、
白く浮き出た汗を何とかごまかしていました。

青いワイシャツを着て営業に行くと、
汗が染みているのが明らかに分かってしまうので、
なるべく安くて白いワイシャツを大量に買っていました。
夏の営業マンってホント大変ですよね…。

 
そんなある時、営業から会社へ戻ってくると、
所長がひとりでテレアポをしていた時がありました。

普通、営業所の所長が自ら営業をすることはありません。
ましてや、テレアポなんて。

その時は思わず所長に聞いてしまいました。

 
「所長、どうしてテレアポなんてやってるんですか?」

「なんとなく急にやりたくなってね。」

 
ウソだってわかっていました。

 
背中でみんなに営業を教えてくれていたんですね。

「営業はこうやってやれよ」
「オレがやってるんだから、お前たちもできるだろ」って。

でも、それを口に出していうのではなく、
行動で示してくれる所長にとても心を打たれました。

 
「所長に営業させちゃダメだな」

「所長に営業させないように自分がしっかり売ってこないと」って。

 
だから、どんなに売れなくて怒られても
所長に対して「憎しみ」とか「怒り」はなかったです。

どんなにキツく言われたときでも、
所長の気持ちはきちんと伝わっていました。

「人の気持ちを動かすのは、やっぱり人の気持ちなんだな~」って、
そのとき初めて感じました。

 
とはいっても、
とにかく、営業すること自体が初めてだったので、
テレアポはホント朝から晩までずーっとやってました。

営業のスキルなんて全くなかったので、
とにかく「やるしかない!」って思ってました。

アルバイトでテレフォンアポインター(テレアポ)のオバちゃんがいたのですが、
テレアポのアルバイトは50分電話して10分休憩が規則でした。

でも、私の場合は休憩する時間がもったいなくてずーっとテレアポをしていました。
ノドが乾いたら電話のコールが鳴っている間に、
お茶とかお水をすばやく飲んでいました。

お昼も10分くらいで済ませてました。
いつも会社の給湯室で立ったまま、コンビニのおにぎりを2、3個食べて終わりです。
食べ終わったらスグにテレアポの机に向かっていました。

そうやって、何度も何度も失敗を重ねて電話をしていくうちに
最初は10件商談して1件の割合で売れていたのが、
5件に1件、3件に1件の割合で徐々に教材が売れるようになってきました。

教材が売れると自分の銀行口座に手数料(マージン)が振り込まれ、
銀行で通帳記入するのが嬉しくなっていました。

このときの手数料のおかげで
その後のサークル運営費を賄うことができたばかりでなく、
数ヵ月後には一人のお客さんから300万円の教材を買って頂き、
その時の手数料でずっと欲しかった車をキャッシュで買うことができました。
(当時は学生でローンが組めませんでした…)

 
サーフィンも営業も同じですね。

 
失敗を重ねていくうちに、
どこがいけなかったのか、どこを直せばうまくいくのか、
考えながら、少しずつ調整していくことで
徐々に成功へ向かうことができます。

 
実際、学習教材の営業では3ヵ月後には1,000万円の
学習教材が売れ、約200万円/月のインセンティブ(成果報酬)を
得ることができました。

 
その後は宝石販売の営業を経て、リクルートへ入社し、
フロム・エー営業部でMVPを取れるようになりました。

 
「波乗り営業講座(なみえい)第一章」では
その時の学習教材の販売をもとにセールスポイントをまとめたものとなっています。

いわゆる営業のノウハウ集とは違い、
実際にお客さんとのトークを教材としてまとめていますので、
教材を読んで頂いたその日から”売れるためのトーク”として
使って頂くことができます。

そして、トークだけではなく
営業のポイントとなる部分も解説としていますので、
営業マンのみならず、販売職・接客業などの方にも読んで頂いて、
明日からの営業活動に役立てて頂けるような内容となっています。

ぜひ、参考にしてみてください♪

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